トーク de セラピーをする理由 2

 記 アメブロより転載】
「ここでなら、自分の思いを出せるかもしれない」

と、キーボードに向かうも

何も書き出せない自分。

互いの素性も顔もわからないインターネットという繋がりの上に、

自死遺族の人々は、大切な人を失ってどこにもぶつけられなくて行き場を失った思いを
それぞれの立場から思いを表現していました。

読むだけで、自分がこれまで押し込めていた感情を代弁してくれているようで、涙がとどめなく流れました。

おそらく、その掲示板を眺めている人の中には私のように書き込みするのを躊躇して眺めているだけの人は潜在的に沢山いたことでしょう。

日本全国の年間自殺者の統計は、連続3万人を超えているといいます。

一人が自殺したら、その人に関わる人は家族を含め

平均5人関わっているそうです。

3万人×5人 = 15万人

毎年のように、身の回りに自殺した関係者がいる人が増えているのです。

なのに、日常過ごしていても

そのような体験をした人と出会うことはほとんどありません。

みんな、言わないだけで

いつも顔を合わせているあの人も、もしかしたら同じような体験をしているかもしれないのです。

普通、言えませんし、

相手に聞くなんてもっとできません。

そうやって、私自身が悶々とした思いをこのまま一生抱えて生きていくのだ と、絶望していました。

今振り返ると、本当によく頑張っていたと思います。

周りに気を使って、何倍ものエネルギーを消耗し

身も心もボロボロになり

「もうだめだ」と思ったことは何度あるかしれません。

でも「もうだめだ」という臨界点を超えた今

当時から見たら未来の「今」にいる私は

こうして生きています。

「自分が死ねばよかった」と思っていた私は

「生きる喜び」を抱けるようになりました。

生きていると、本当にいろんな体験に遭遇します。

「この体験は私にどんなギフトをもたらせてくれたのか?」

そのギフトの蓋の開け方を、一緒に見つけることができたのも

ご縁があった人々や、目に見えない存在からのサポートがあったからでした。

「孤独」と「絶望」しかないと思っていた私は

最初から一人じゃなかったのです。

人をも含んだ、全ての存在はいつも私たちを見守ってくれていて

助けを求めたときはいつでもサポートしてくれます。

さて、掲示板に書き込みができなかった私は

どのようにして助けを求め、存在からのサポートの手が差し伸べられたのか ―

そこからが、目に見えない世界に片足を突っ込んだ始まりかもしれません