本音を大切に!~ちいさな嘘の積み重ねは、罪悪感を肥大化させる

家族や、家族同等に身近だった方を亡くされ遺された人たちの多くは

その受け入れがたい死を当事者外の人々にどう報告すればいいのか深く悩みます

近隣や職場の人間、友人関係 そのた

社会生活を営む中で、会社や学校、近隣のコミュニティに属している以上

身内に不幸があった場合、周知されることは避けられません

亡くなった理由が、

病の末の結果や生命の寿命を全うする自然の流れの中で迎える死であれば、

亡くなった経緯や理由を聞かれてもなんとか答えることはできるけど

自殺で家族を亡くした人々は、その理由を言うのにも

多大なストレスと膨大な神経を使っているのが現状です

聞かれた人全員に本当のことを話す義務も決まりもないので、

言いたくなければ言う義務も必要も全くないのですが

それが親しい友人や身近な関係性であればあるほど、

「こんなことを言っては、それを聞かされた相手に申し訳ない」という思いや

そのことで余計な心配かけたりやショックを与えて

友達との関係に距離ができてしまうことの恐れ、

打ち明けた相手からほかの誰かに事実が伝わってしまうんじゃないかという恐れ

突然こんな話しを打ち明けられたりしたら、

なんて声をかければいいのかわからなくて相手が困惑してしまっては申し訳ない など

そんな思いが渦巻いて「落ち着いたら、いずれ時期がくれば話そう」と思っているうちに

タイミングを逃して何年も経ってしまった人も多くいらっしゃることでしょう

 

 

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「いずれ時期が来たら」の前提として、「自殺の事実を伝えない」事が嘘の始まり

「いずれ時期がきたら、話せる時がきたら打ち明けよう」

その時を無事にむかえられた人はどれほど存在するのでしょうか?

最初についた嘘は

「急な病気で亡くなった」とか

「思いがけない事故で・・」など、

多く説明を必要としない理由を上げて、それ以上その話題に深く切り込まれないよう

細心の注意をはらってその後もそのつじつまを合わせる事にさらに神経を尖らせる

絶望を悟られないように、家族の死を乗り越えたかのように振舞う

相手の気持ちを推し量って事実を伝えられなかった事に対しても、

「嘘をついている」というどんよりとした、相手に申し訳なく思う気持ちを抱き

「嘘の告知」にも親身になってくれた友達に対して裏切り行為をしているかのような

罪悪感を抱えてしまい、いずれ本当のことを知られたら怒られるんじゃないか?と

杞憂に馳せてしまうこと否めません

 

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責める相手は自分しかいないって、それ本当?

毎日毎日、職場で学校で家庭の中で

小さな嘘を積み重ねていくうちに、ほんとうの気持ちはかき消されてしまい

自分が何を感じて何を欲しているのかわからなくなってしまいます

最愛の家族を自殺で失い遺されたものたちは、

「自分がその死を止めることができなかった」ことで苦しみます

そのことだけでもめいっぱい苦しいのに、さらに周囲に気を使い

死んでしまった者に対して懺悔をし、自分は罪人だとして

自分自身を押し殺した挙句に精神障害やうつ病を患い

終いには「自分が死ねばよかったのに」とさえ思ってしまいます

いやいや、ちょっとまって!

 

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死人に口無し

 彼が、彼女が、あの子が、あの人が死んだのは誰のせい?

死にたいほど苦しんでいた彼らに手を差し伸べられなかったワタシ?

本当にそうでしょうか?

「そう思い込む」ことで、その死を納得させようとするのは自由です

でも、、

死んでしまった相手を恨んだり責めたりするのは、いけないことでしょうか?

本当のところ、その人が死んだのは誰のせいでもないのです

「自分のせいで」という思いは、単なるエゴの声

仮に、その死のサインをキャッチして事件を食い止められたとしたら、

「あなたのおかげ」で死なずに済んだといえるのでしょうか?

「生」と「死」は

人の手でコントロールされるものではありません

生と死に直面した時に問われるのは

「自分はどう生きるのか」

に尽きると私は思うのです

あらゆる生き物は生まれたら必ず死にます

生と死

陰と陽

光と影

どちらか片方だけに傾倒していては、バランスを崩すのは自然の摂理です

バランスが崩れたら、バランスを取り戻す

その繰り返しが生きることだと思うのです

 

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誰のせいでもない

母親が亡くなった時、検死のため警察に引き取られた亡骸を不安な気持ちで家で待っている時

私に向かって父親は「すまんかったな」とぽつりと言いました

私は咄嗟に、「誰も悪くない」とだけ言い返しました

父親のその言葉は、その後も彼の中を罪悪感で蝕み、いずれ自己を死に追いやりました

父の死が、誰のせいかと聞かれたら、

私はやっぱり「誰のせいでもない」と答えます

死人の母は父を責めません

なのに、父は自分のせいだと思いました

死人の父は私を責めません

だから、私は誰のせいでもないと思いました

自分を責める=自責の念を持つことで、

本当に自分の落ち度でそうなってしまい、

死人に対して償いができていると納得するならそれでもいい

けど、それが自分をも苦しめているのであれば

ちょっと立ち止まってみてほしい

小さな小さな、自分に対してついている嘘はないのか

本音を無視し続けられたあなたの魂の声に、

少しでもいいから耳を傾けてみてほしいのです

かすかな本音が聞こえたその時に、本当の自分がどうありたいのかを

問い直してみるといいかもしれません

 

まだ、自分を責めつづけますか?

 YES or NO?

 

死人に対してブチ切れたエピソードを綴っています(´・ω・`)
あわせてお読みいただけるとうれしいです

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